おはようございます。
試合がないとおもんない( ̄▽ ̄)
8/6まで無いのツライわ〜(>_<)
なので、ガンバの初代監督である、釜本邦茂さんと私の母の話を少ししましょう。
まず釜本邦茂さんの経歴
釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年4月15日 - )は、日本の元サッカー選手、元サッカー指導者、元政治家、実業家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。日本サッカー協会(JFA) 顧問[3]。京都府京都市右京区太秦出身。現役時代のポジションはフォワードで、日本サッカーリーグでは、251試合出場し、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と傑出した活躍を見せた。また、サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(総通算231試合153得点)を記録し、1968年メキシコオリンピックでは、アジア人初の得点王となった。2005年第1回日本サッカー殿堂入り。
ウィキペディアより
とんでもなく凄いサッカー選手だったんです。
そんな釜本さんと私の母は、中学・高校の同級生でかなり仲が良かったそうだ。
以上。
本当に少しだけ^ ^
詳しくは聞いてないので・・
母は過去の話をあまりしないタイプだったので、父親のこともよく知らない。
姉たちと昔話をしても噛み合ってないことも多い^_^
ただ共通してるのは、母の姉のエピソード。
私達姉弟からすると、叔母さん。
叔母さんと書いているが、姉弟3人共が叔父さんだと思っていたのだ^_^
しかも20歳をだいぶ過ぎるまで^ ^
理由は常に丸坊主でスーツを着ていたから^ ^
身体も大きくてぽっちゃりしてたので胸も変に思わなかった。
恥ずかしい話だが、その叔母さん、私が小学生低学年の頃、借金をしまくって夜逃げしたのだが、当時の借金取りはヤ○ザ丸出しで、普通に私たちの家にまで追い込みをかけてきていた。
ただ、その下っ端やっちゃんが私達子どもに「おばちゃんどこ行った?」とか聞いてきても私たちは叔父さんやと思い込んでるから、「そんな人いません!」と答えていた^ ^
今思うと、子供たちは全く嘘ついてる気配もないし、どないなってんねん?って思ってはったんかなっと考えて笑ってしまう^ ^
そんな叔母が東京で亡くなったと警察から連絡があり、母が遺骨を取りに行き、京都のお墓に入れる時に初めて、本名が○子と知り、なんで子なん?と姉弟が母に聞くと、「えっ?何言うてんの? 女やからに決まってるやん」との答え。
3人共が??????
まさかの叔母がマイノリティやったとは^ ^
時代的にも大変やったやろなぁと思う。
そんな叔母は、高校の国語教師をちょろっとだけしていたらしい。
生徒はたぶん、男性教師やと今でも思ってるんやろね^_^
おしまい